何かの流行りですか?

残念ながら天才とは呼ばれたことはありません。

私の知能指数は確か 100 以下くらいのはずで、良くもなければ悪くもないです。クラスで知能指数トップだったのは女の子で 180 くらいだったはずですが、彼女がその後何かで活躍したという話も聞きません。

貧乏だったので塾は行っていなかったので何とも言えませんけど、大学から大学院の 6 年間のうち 4 年間は学費免除だったのは事実ですが、親父は学費が免除にならなかった 2 年間について今でも思い出したかのようにうるさいです。もっとも、今親の平均年収がトップクラスの私立の大学に年収 500 万円前後で行かせてくれただけでも感謝しています。

で、こんなことはどうでもいいです。中学レベルなら数学の回答方法なんて数個くらいは別の解を考えていた時期もありました。こんなことを自慢しても自慢にもなりません。

で、大学に行って面白かったのが自分よりも頭のいい奴がいたことですかね。大学生だけで数万人 (自分の田舎町の人口の倍) いるのは凄かった。浪人しているから頭のいい奴、本気で頭のいい奴、天才未満の奴、それが私の財産のひとつです。高校時代は某模試なんかは 90 分の試験時間のうち 60 分くらい暇で仕方がなかったこともありましたが、大学でいろいろな人に会えたことで少し見方が変わったのかもしれません。ネットはさらに広大ですが、本当に頭がいいかどうかを Blog やイベントで推し量るのは難しいので、ここでは語りません。

某巨大企業に入社し、やはり数万人の中で仕事していたわけですが、やはり頭がいい奴がいてくれて面白いです。普通の会話なのに頭の端っこにあるシノプスまで使わないと付いていけないというのは面白くて好きです。文書を難しくしたり専門用語で濁して難しくすることはできますが、普通の会話で凄い人がいると私は面白くなってきます。

そもそも、頭のいい奴なんていくらでもいるわけですよ。その何倍も自分の頭はいいと思っている人がいるわけですが、頭がいいなんていう相対的な比較をしているわけなので、相対的に自分よりも頭のいい奴に会って、自分よりも頭がいいと分かる自分を持つことが重要なんじゃないかなと思います。上があるから上を目指すわけです。ペアプロと同じで微妙な差があることが面白いわけです。

最後に大学時代に先輩に教えられた言葉をひとつ書いて終わりにします。「天才は 1 % の才能と 99 % の努力であるという有名な言葉は、実は掛け算である」というものです。才能とは自分では気がつかないものですが、もともと才能がないものに 99 % の努力をしてもあまり意味がなく、与えられた才能を生かせるものに 99 % の努力をかたむけると 99 % になるかもしれません。100 % の努力とは人間を捨てるくらいなんだろうかと思っています。そもそも 100 % になんかなれなくていいのです。そのくらい天才は稀な存在なのです。(多分)