これが慣れなのか?

長く付き合っていると慣れが発生してしまう。それは相手が人でもプログラムでも同じことだと思う。

で、grep の '-f' はファイルの指定でも、スクリプトファイル (もっとも正規表現しかないので、それをスクリプトと呼ぶかどうかは微妙感漂うが) を指定するためのもので、sed, awk といった三種の神器や make とか同じ思想なので、統一されていると思う。(いや、慣れているだけかも?)

最初、Perl が登場した時に '-f' でスクリプトを指定できないことに驚いた時期もありました。(w

あと、標準入力と標準出力のパイプに関しても、そういうものだと Linux 創世記の人たちに習った記憶がある。衝撃を受けたのは vi をパイプ (最後の段ではあるけれど) で繋ぐということを知ったときかもしれない。つまり、この Unix 社会にパイプという手段が使えないものはないんだなと思っていた時期もありました。これが私の慣れでもあります。

強引にまとめようとすると、Unix はそういう治安社会だったのだけど、やはり不条理だと思う人たちがいろいろな方法で改善して、その結果が今の状態なんだと思う。

書きながら、これ、何かのネタに使えそうな気がしてきた気がする。