未来の LL

敏感な人はご存知だと思うが、「LL Future」である。以下は、LL Conference とは全く内容は関係なく、個人的なイメージで話しているので、当日話されることは多分ない。

未来の言語、いや、未来そのものをイメージするのは難しい。個人的に思ったひとつに「子孫繁栄」というのがある。
言語はユーザーが少なくなると途端に衰弱して滅びてしまう。今世紀末には 5000 以上の言語がなくなるそうであり、身近なところではアイヌの言葉も例外ではない。
例えば、薄れてしまっても構わないのであれば、他の言語を話す人と結婚してでも未来を託すという方法があるだろうし、村おこしのように別の角度から注目してもらうことだってある。宮崎弁 (日向弁?) は後者であるし、プログラムではキラーアプリで有名になるのも後者である。前後してしまうが、前者は多様性の中に生きるという意味ではマッシュアップに近いのではないかと思う。
Perl は Perl6 から別の言語であり、Perl の子供 (PerlHaskell の子?) に位置するのではないだろうかと思っている。同時に多様性で Parrot まで産み出しているのは Perl らしい。個人的には Perl6 が Perl 子供であると共に、開発者も次の世代であるところに注目している。
一方、古参の言語である lisp は直系ではないが、Haskell, Gauche といった関数型言語の良さが認められ、それなりにブームである。そう、結果的に言語には子孫繁栄が不可欠なんだと思う。これはプログラムも普通の言語も同じであろう。

そういやニュースで「人口孵化により自然を取り戻せ」とか「元々広葉樹だったが、針葉樹が増えたので伐採して、昔の広葉樹にして自然を復活させた」とか言われているが、大きな間違いである。人間だって自然の中で生きているわけだから、人間が絶滅させたというのは自然のひとつでしかない。
プログラムは動作するマシンがあれば動作する。最近では Xen 上に古いマシンを仮想的に構築することもできるので、たぶん 2038 年くらいまでは永遠の命を吹き込むこともできる。しかし、これは不幸でしかない。試験管の中でしか生息できないウイルスと同じである。そんなことで寿命の長い言語と言われるのはおかしい。

さて、われらが awk の場合、マスコットでもある auk は gawky で awkward であるが故に死滅した。awk は死滅はしていないものの、awk の三賢者は残念ながら生まれてから今までよりも死を待つ方が短そうだし、gawk への移行が急がれている。そんな中、若い (?) 人たちが xgawk の開発を進めていることから、次の世代へ引き継がれていくことができそうである。こうした次の世代へ繋ぐ議論はどうだろうか?
あなたの好きな言語はどうだろうか? こういうことを注目することは OSS の活性化になるのではなかと思っている。それは OSS が人、というよりもバイネームで動いてきた部分が大いにあり、そうした先人が空気のような存在であるからこそ成功しているのではないだろうか。見えないものほど気がつかないし、それの尊さを分かるのは、それがなくなったときである。

もうすぐ母の日である。今年から、ついに親元を離れた方が長くなってしまった。そうした中、酔った勢いで「遠く遠く」を歌い涙してしまった。いや、選曲してくれた後輩に感謝。